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「神楽坂」の坂道紹介①

今回は、坂の町「神楽坂」の坂道について数回に分けて、ご紹介いたします。

 皆さんもご存知のように昔から花街として栄えた神楽坂は坂道の町です。そこには江戸の昔より親しみを込めて古い坂には名前が付けられています。それら代表的な坂道や石の階段道を地形図に合わせた現在の地図でご紹介いたします。

 

❶ 地蔵坂(じぞうざか)

 神楽坂通りを外堀通りより坂を上り、毘沙門天を過ぎて左に入る道が「地蔵坂」です。この坂は、近くに藁を売る店があったことから、またの名を「藁(わら)坂」とも呼ばれていたようで、夏目漱石の小説『それから』に出てくる「藁店を上がり掛けると〜」の場面がここの藁坂です。

 「地蔵坂」の由来は坂の上に光照寺があり、そこに安置されていた子安地蔵から、その名がついたといわれています。

 

❷ 軽子坂(かるこざか)

 この坂道は、江戸時代に飯田橋堀にかかる船着場から荷物を運ぶため、この坂道を二人一組で軽籠持が荷物を担ぎ上げたことから、軽籠(軽子)坂と呼ばれていたようです。

錦絵出典:国会図書館

 上の錦絵は、その当時の飯田橋堀の船着場になります。奥に牛込御門、右手前が船着場です。

 

❸ 神楽坂(かぐらざか)

 神楽坂の名称については諸説あるみたいで、その1つが坂の途中にあった高田八幡で神楽を奏でていたから。その2が津久戸明神が移って来た時に神楽を奏でたから。その3が若宮八幡の神楽が聞こえたからなど、いずれも神楽の音色が坂道で聞こえたことが名前の由来のようです。

錦絵出典:国会図書館

 上の錦絵は江戸時代の神楽坂から牛込御門を見たものです。当時は勾配が急な箇所は階段状になっていたようです。

 

❹ 新坂(しんざか)

 この坂は、名前がある坂道の中では新しい方で享保16(1731)年に諏訪安芸守の敷地跡に新しく道が造られたことに由来するため、新坂となったようです。敷地跡に造られた道なので、途中90度くの字に曲がっているのが特徴です。

 

❺ 庾嶺坂(ゆれいさか)

 江戸初期には、この辺りに梅の木が多くあったので二代将軍徳川秀忠が中国の梅の名所にちなんで命名したとされていますが、この坂道には「行人坂」「唯念(ゆうねん)坂」「幽霊坂」「若宮坂」なる別名もあったといいます。

坂の長さは120m、高低差が9mという急坂で、江戸の昔は夜になるとこの辺りは武家屋敷が多く真っ暗で、人通りの無い夜道は、心臓をバクバクさせながら上るため、自然と不気味さが出てきて「幽霊坂」と言われていたのかも知れません。

 

次回は❻ 逢坂、❼ 鰻坂、❽ 鼠坂、❾ 歌坂、❿ 浄瑠璃坂をご紹介いたします。