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「神楽坂」の階段紹介

 坂の町「神楽坂」の4回目は、坂ではなく階段です。階段は「道が狭くて車が通れない」や「勾配が急なため」などの理由により人のみが利用するために設置された道になります。では、どのような階段があるかをご紹介いたします。

 その前に江戸時代の神楽坂通りは坂下が階段だったようで、幅広(階段の幅が広い)の道だったようです。下の絵はその当時の絵図になります。牛込門から坂に差し掛かる部分が階段状になっているのが見て取れます。しかし、明治時代になり神楽坂の上の方を削りだし、勾配を緩やかにして坂道へと変えたと言われています。

出典:国会図書館、江戸名所図会 7巻[11]より

 今回ご紹介する階段は8ヶ所。それぞれの階段には名前が付けられているものもあり、神楽坂の石畳とはまた違った趣があります。

 

 

❶矢来町の新潮社近くにある階段

 牛込中央通りと矢来能楽堂の前の道をつなぐ21段からなる急勾配の石段です。道幅は広く車が2台通れる公道と同じ幅になっています。ただ、牛込中央通りから聖バルナバ協会の横を少し入ったところにあり階段の前には車も停められているので、人目にはつきにくい階段です。写真の右側にある建物と比べても上段が建物の2階部分になるほどの高低差になります。

 

❷赤城神社に至る階段

 この階段は赤城坂から赤城神社の真横にでる階段です。段数は29段で、よくドラマの撮影でも使われています。階段を登ってすぐの左側には、赤城神社がこの地に遷る以前からある小さな牛込の鎮守「出世稲荷神社」があります。この稲荷神社は江戸の昔から出世開運のご利益があると大名や公家などの崇敬も受けていたようで、今では近隣の会社員や商店街の崇敬を集めています。

 

❸駒坂

 駒坂は隣の瓢箪坂と対で「ひょうたんから駒」的な扱いで付けられた名前とも言われています。ここは2.7メートルほどしかないタイルブロックの階段で、趣のある手すりがパリのモンマルトルみたいだと言う人もいます。上段が少し左へカーブし、最上段が鱗ばりの石畳になっています。

 

❹クランク坂

▲クランク坂を上から見た様子

▲下からの様子

 クランク坂のクランクとは途中で2ヶ所曲がっているから付けられた名前です。ただこの階段は上から見ると1ヶ所だけ曲がっているようですが、下から見ると2ヶ所にも見えます。もう一つの名前の由来が、この階段下(上から見て)の左手にあるお店が『東京タラレバ娘』の主人公の家「呑んべえ」のロケ地となった場所のため「クランクイン」から来たのかもしれません。また、このクランク坂を登っていくと兵庫横丁に突き当たり、人が一人通れるくらいの路地裏と魅力的なお店が数多く軒を連ねる神楽坂らしい趣があります。細い路地に迷い込む楽しみを味わえる場所でもあります。

 

❺兵庫横丁の階段

▲上から見た様子

▲下からの様子

 この兵庫横丁は神楽坂界隈で、しかも古い道の一つで鎌倉時代には武器商人の町だったことで「兵=つわもの」「庫=くら」から名付けられた横丁です。この料亭が立ち並ぶ兵庫横丁を半分ほど行ったところに階段はあり、段数は23段ですが途中狭い踊り場を挟む緩やかなタイルブロックのステップになっています。

 

❻フランス坂(熱海湯階段、芸者小路、カラン坂)

 この階段(坂道)は、飲食店の並ぶ裏路地、小栗通りにある熱海湯の横から登り、鳥茶屋別亭の横を通り抜け見番横丁に通じる細い階段です。坂の名前はいくつかありますが、「フランス坂」はフランス人の多い神楽坂にありながらよりフランスのイメージがあるので付けられたのでしょうか。「カラン坂」は階段下にある熱海湯にちなんで石鹸箱の音から来ているとも言われています。この階段を有名にしたのがテレビドラマ『拝啓、父上様』。主人公の田原一平とナオミの出逢う場面がこの階段になります。

 

❼ゴミ坂(芥坂)

 芥坂は江戸時代からある通りで、この階段下の先は現在、高低差が大きいため歩道橋となって谷を超えた対岸へ通じています。まさに断崖にかかる坂道で、江戸時代から坂上の武家屋敷からこの谷にゴミを捨てていたとされています。今は大日本印刷の工場(建設中)となっています。

 

❽無名の階段

 この階段は飯田橋駅と市ヶ谷駅の中間にある新見附橋から外堀通りを抜けてそのまま直進し突き当たりを右折し、さらに突き当たりを左折したところに突然現れる高低差の大きな階段です。一眼見て登るのを躊躇するほどの高低差で、その高さは3階建ての家が収まる高さになります。段数は途中2つの踊り場を入れて41段の階段となり、神楽坂では圧巻の階段になります。