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新宿区町名の由来と歴史・・・第四回

 新宿区の中でも東側は比較的古い町名や歴史が残る地域です。そこで江戸川橋から神楽坂、牛込神楽坂、牛込柳町、飯田橋、市ヶ谷周辺を中心に町の歴史や町名の由来をご紹介いたします。

 今回紹介する町は、外堀通り沿いの市谷田町、市谷砂土町、払方町、市谷鷹匠町、若宮町、市谷船河原町です。

若宮町(わかみやちょう)

◆最寄駅:JR「飯田橋」駅、東京メトロ東西線・南北線・有楽町線「飯田橋」駅

◆町名の由来:若宮町の町名は、町内に鎮座する「若宮八幡宮」に由来しています。東京都神社庁によると若宮八幡は「鎌倉時代の1189(文治5)年秋に右大将源頼朝(みなもとのよりとも)が奥州征伐に向かうため、この地で下馬宿願したことから、鎌倉鶴岡八幡の若宮八幡宮を分社したもの」だそうです。その後、太田道灌が文明年間(1469〜1487)に江戸城鎮護のため再興したと伝わっています。また、若宮町は隣接する市谷船河原町、市谷砂土原町と並び江戸時代は幕府からの拝領(はいりょう)地として御家人などの武家屋敷があったそうです。

地図データ©2024Google

 

市谷船河原町(いちがやふなかわらまち)

◆最寄駅:JR「飯田橋」駅、東京メトロ東西線・南北線・有楽町線「飯田橋」駅

◆町名の由来:家康が江戸城を築く前の外堀通り沿いは、四谷方面から流れてくる川がつくる湿地帯だったようで、そのため船の係留がしやすい船溜りがあったから市谷船河原町の町名がついたそうです。下の地図は室町中期(1457〜1460年)ごろを描いた古地図(国立国会図書館デジタルコレクション『長禄年中江戸図』より)で、この古地図には市谷村、牛込村など現在の牛込や市谷といった馴染みの地名が見受けられます。この四谷方面から流れてくる川がのちの江戸城の外堀になるあたりで、まさに河原が広がっていたのでしょう。ちなみに小日向村は現在の江戸川橋あたりで、そこに流れる川は神田川になります。

地図データ©2024Google

 

払方町(はらいかたまち)

◆最寄駅:JR「飯田橋」駅、東京メトロ東西線・南北線・有楽町線「飯田橋」駅、JR「市ヶ谷」駅、東京メトロ南北線・有楽町線「市ヶ谷」駅、都営新宿線「市ヶ谷」駅

◆町名の由来:町名の払方(はらいかた)は、江戸幕府の役職名の「払方御納戸」で、その役職につく武士が拝領した拝領地から町名は由来しています。ちなみに、「払方御納戸」は徳川将軍家の金品を管理する納戸組同心(下級武士)で、納戸組のうち将軍から大名へ下賜品を扱う部署が「払方」になります。

地図データ©2024Google

 

市谷鷹匠町(いちがやたかじょうまち)

◆最寄駅: JR「市ヶ谷」駅、東京メトロ南北線・有楽町線「市ヶ谷」駅、都営新宿線「市ヶ谷」駅、都営大江戸線「牛込神楽坂」駅

◆町名の由来:市谷鷹匠町の由来は江戸時代の1673〜1681(延宝)年間に鷹匠頭の戸田七之助が組屋敷として拝領したことに由来するそうです。その後、元禄期には御家人の屋敷として細分化されたましたが、町名は鷹匠頭に因んでそのまま残ったと伝えられています。また、余談ですが鷹匠とは藩主が鷹狩に使用する鷹を調教した武士のことを指します。下の古地図『御府内往還其外沿革図書』十二( 国立国会図書館デジタルコレクション)は土地を細分化された後のものになります。古地図には市谷御門や浄瑠璃坂などの記載が見受けられます。道も現在のものとそんなに変わらないので場所は特定しやすい町割のままです。

地図データ©2024Google

 

市谷砂土町(いちがやさどはらちょう)

◆最寄駅:JR「市ヶ谷」駅、東京メトロ南北線・有楽町線「市ヶ谷」駅、都営新宿線「市ヶ谷」駅、都営大江戸線「牛込神楽坂」駅

◆町名の由来:町名の由来は、江戸時代の「家康の知恵袋」と呼ばれた本多正信(佐渡守)の別邸があったことから「佐渡原」「佐渡御原」と呼ばれ、その後この別邸跡の土で市谷田町の湿地帯や水田の埋め立てに使ったことから「砂土(さど)取り場」とこのあたりは言われ、「佐渡原」から「砂土原」となったと伝えられています。1872(明治5)年に佐渡原一帯と水野家(紀伊新宮藩)上屋敷を含み市谷砂土町となったものです。下の古地図『御府内往還其外沿革図書』十二( 国立国会図書館デジタルコレクション)は江戸時代の砂土町付近の区割り図です。場所が高台のため、それぞれの区割りも大きく上級武士(旗本など)の屋敷があったようです。

ちなみに、本多正信は三河生まれで、本能寺の変の少し前から家康に仕えたとされています。また家康が江戸幕府を開くと家康の側近として幕政を実際に主導した人物でもあります。

地図データ©2024Google

 

市谷田町(いちがやたまち)

◆最寄駅:JR「市ヶ谷」駅、東京メトロ南北線・有楽町線「市ヶ谷」駅、都営新宿線「市ヶ谷」駅

◆町名の由来:町名の由来は、江戸時代初期に川にそって布田新田という水田が開かれた百姓地だったところが、江戸城の外堀を作るために土地は接収され水田が砂土原の土で埋め立てられ、こんどは町屋として使われるようになりこの町名が付けられたそうです。

下の上2枚の古地図『御府内往還其外沿革図書』十二( 国立国会図書館デジタルコレクション)では、現在の市谷田町とは少し違い外堀に面して市谷御門から四谷よりまで飛び地的に「市谷田町四丁目」の記載があります。

3枚目の古地図は明治期の町割で、ここでは初めて現在の町割に近い区画に市谷田町の記載が確認できます。

4枚目の写真は明治39年ごろの市谷田町二丁目の町屋の風景です。町屋の前の通りは現在の外堀通りになります。

出典:新撰東京名所図会第43編「牛込区の部」より

地図データ©2024Google